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ーーー本編は以下から

俺は”CL社”という会社に草鞋を脱ぐ事になった。

CL社は”I”という関西圏内屈指のNTT二次代理店の中で最大の勢力を持っていた三次店であり、名刺も”I”の屋号を使い営業活動をする事が許されていた。

俺はCL社室長の”U”という人間から商品研修を2日間受け、知識テストをパスして現場に出た。

現場に出て一週間は現場主任の”H”とOJTで廻る事になっていたが、Hの判断で俺は現場に出て2日で独り立ちを許された。

最初に廻ったのは滋賀県大津市の京阪浜大津駅周辺のマンションやアパート。

注説として、当時のフレッツ光はマンションタイプという集合住宅向けのサービスしか展開しておらず、代理店=マンションタイプの代理店という認識が全国統一だった。

1日に約10棟ほどの集合住宅を廻る。

ドアのインターフォンを直接押せるいわゆる”ジカオシ”のタイプもあれば、集合住宅の玄関口にインターフォンが設けられ部屋の主ではないと解錠が出来ないタイプの”オートロック”タイプもあった。

最も当時のオートロックマンションの施錠システムは脆弱なものが多く”ちょっとしたコツ”で解錠出来たのだが・・・。

それはさておき、1日約10棟の集合住宅を朝8時〜遅い時には22時くらいまで何回も廻っていた。

それこそ、1日1000ピンポン(インターフォンを押す事)なんて当たり前。

休みは年間60日だったから(そのうち殆どが営業成績を上げる為に返上していたが。)300日×1000ピンポン=300,000ピンポン以上年間にしていた事になる。

”NTTテレポケット”という全代理店共通のロゴを刺繍した各社オリジナルの制服。

夏は”ポロシャツ”に”チノパン”、冬は”ジャンパー”に”チノパン”というスタイルが業界のフォーマルだった。

京都の下は八幡市〜上は岩倉村まで(京都の地理が分かる人に言ったら毎回驚かれるが。)折りたたみ自転車1輪で走り廻っていた。

夏は汗だく、冬は手がかじかみ頭に雪が積もって自転車がスリップし転倒しながらでも兎に角数字を取り、歩合で稼ぐ為に走り回った20歳当時。

40名程のCL社で営業成績1位を取るまでには時間は掛からなかった。

もちろん良い事ばかりでは無かったし、俺自身若かった為か、相当会社に迷惑もかけた。相当。

お客さんからのクレーム(居座り営業のし過ぎで警察に2回連行されもした。笑)も日常茶飯事、中には脅迫じみたものもあったり・・・。

ライバルに僅差で月の数字負けた事もあったり、と大変な事の方が多かったが、自分の中でこの会社での経験は財産になった。(強気な営業をし過ぎて2回営業ライセンスを剥奪されており、剥奪期間は偽名を使って外回りをしていたのも良い思い出だ。笑)

CL社の専務には特にお世話になった。(この会社の社長は当時知らぬ人が居ないほどの”京都のカリスマ”と呼ばれている京都の有名人。祇園のリアル夜王。人生で初めて”憧れた”人でもあった。CL社は”昼の仕事”としてNTTの代理店業をしていたのだ。)

そしてこの出逢いが更に営業の世界にのめり込むきっかけとなり、やがて『IT業界で営業が一番強い会社で日本一になりたい』という目標を持つ様になる。

それが後の光○信社との出逢いに繋がるのだが・・・。

光戦士時代の話はまた別の機会に展開していこうと思う。

起業コラムも次回からはいつもどおり、創業時の話に戻しますので引き続きご愛読宜しくお願い致します。