飛騨高山支部のロゴができました。
「日抱御霊鎮(ヒダキノミタマシズメ)」
奥飛騨で縄文時代から昭和初期まで実際に行われていた精神統一の行「日抱御霊鎮」がモチーフ。
奥飛騨の地で、縄文時代から昭和初期まで実際に行われていた精神統一の行「日抱御霊鎮(ヒダキノミタマシズメ)」をモチーフにデザインいたしました。
奥飛騨では昔の言葉で祖先を「カミ」子孫を「シモ」と呼び、その土地の方が亡くなり埋葬されると、その隣に池を掘り、周囲を座り囲み、池に映った太陽の光を心に浮かべることで精神統一を行い、故人を偲び、地域活性化を誓い、心を練ることで深い洞察力を得たと口伝で現代まで伝えられています。
この儀式は「日抱御霊鎮」と呼ばれ、飛騨=ヒダという音の語源となったとされています。
インターネット上でヒットする飛騨の語源情報は、近代に入ってからの当て字が多くあります。
それら奥飛騨の民が”匠”と呼ばれ、日本最古といわれる大和(ヤマト)に都・藤原京を造営し、都市運営に貢献し、霊峰・位山から採取される「いちいの木」が今上天皇即位の儀に代々用いられて参りました。
大和=ヤマト、とは元来”ヤマノフモト(山の麓)”という意味があります。
ヤマノフモトに都が生まれたことの名残りなのです。奥飛騨に代々伝わる「飛騨の口碑」では、そのヤマノフモトのヤマとは、乗鞍連邦・位山一帯を指しており、実はそれら地域に初代・高天原が存在していたとされています。
そのヤマノフモト=ヤマトを懐かしみ、初代・高天原より奈良の地に降臨(これが後の天孫降臨であると言われています)した高貴な方々がその地をヤマト(大和)と名付けたと伝えられています。
また、奥飛騨は天照大神ことヒルメムチノミコトの出身地であり、そのお墓は位山の山頂にある天岩戸であると比定されているのです。
私たちがこれまで学校教育で習った古代史とは大きく異なる内容に驚かれる方も多いかと思います。
もちろん、これらはあくまで奥飛騨に伝わる口伝でしかありませんので、考古学的な根拠として十分とは言えないことも多いでしょう。
ですが、だからこそ歴史は面白いと私は考えます。そのまだ見ぬロマンを信長塾と一緒に探検しましょう!
「飛騨の句碑」では、、、
飛騨高山は天照大神ことヒルメムチノミコトの出生地とされています。
そして、お隠れになった場所は位山の山頂にある天岩戸であると比定されています。
そんな日本神話の秘密に迫る、信長塾飛騨高山支部。
明後日、15日-16日に久しぶりに視察を行います。
信長塾東京・仙台の仲間たちと共に。
今から楽しみです。
改めて、レポートを書きますね。