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起業コラム 第1回
起業コラム 第2回
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起業コラム 第15回

ーーー本編は以下から

何故そんなリスクを背負うんだ?

独立をした事を知った仲間の誰かが俺にそう訊いた事があった。

別に特別リスクとは考えてない、そんなもの考え出したらキリがなく、行動できなくなる。

今でもそうだが、何もしない事が一番のリスクだと考えている。

そもそも世の中は権利と義務で成り立っている。

アインシュタインの相対性理論ではないが、この世には相対性は存在する。

確かに、独立をすることで著しく収入が減ることはあるだろう。

ただ、そんな事は織り込み済みだし、大局で見た時に大したリスクではない。

一度独立すれば、時間は自由、ある意味無限に使えるようになるし、稼げるお金の上限も無い。

この権利を得る為の義務なんて、知れている。

不安定な収入、そして、自分の腕で食っていく、食わせていく、という自立心だ。

けどそれは、人間本来の姿ではないのだろうか。

自給自足、だからこそ権利と義務のバランスが取れるのではないだろうか。

一方で、会社員のままでいれば、確かに退職するまでは収入は安定するだろう。

しかしながら、この安定という権利には大変な義務が存在する。

それは定年と、時間的拘束だ。

就労中の殆どの時間を拘束され、そして60歳になれば半強制的に会社を辞めさせられる。

その後もらえるであろう年金も、正直十分な額ではないだろうし、なにより今後確実にもらえるか不確定要素が多すぎる。

何故そうなのか?と訊かれれば、それは他人に依存しているからだ。

時間の使い方も、そして、収入源も。

それこそ、他給他足。

死ぬまでの一生を、会社の、組織の、誰かに依存して生きることになる。

自分の力で生きることを放棄している。

僕は、私はなにより安定を望んでいます。

それが安くて、期限付きの収入だとしても、、、。

そう言っているようなもんだ。

とても、浅ましい。

よく丸出し、自分さえ良ければ丸出しで、とても同族とは思えない。

試してもいないのに、人生という試合に出てすらいないのに、軍門に下る行為。

そうまでして、期限付きの権利を手に入れたいのだろうか。

自営業には収入の上限も存在しない、会社員の年収分を1ヶ月で稼ぐことも実際に可能だ。

時間も、使い方も勿論自由。

定年だって勿論存在しない。

老後の心配も、稼ぎ続けられるんだから、正直不要だ。

定年が無いんだもの。

確かに、収入が0になって、会社が倒産するリスクもあるが、そうなったらそうなったで妥協案として就職したら良いだけだ。

最初から試合を放棄すべきでは無いし、それこそ勿体無い、無条件の権利放棄。

最大のリスクだ。

会社員というものは、それでもその小さな安定を欲しがるのだろうか。

そんな虚仮威しの、、、紛い物の権利証の為に誰のものでもない自分の大切な時間、人生を充てるのだろうか。

俺はその考えが理解出来なかったから、今もこうして自営業をしている。

最も、元々営業畑だったから、会社員の時から会社に食わせてもらおうなどとは微塵も考えていなかったが。