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イベントレポート

創業編 最終話

前回までの話↓↓

第1話 脱サラ直後の話①

第2話 脱サラ直後の話②

第3話 脱サラ直後の話③

第4話 脱サラ直後の話④

第5話 脱サラ直後の話⑤

第6話 脱サラ直後の話⑥

第7話 脱サラ直後の話⑦

第8話 脱サラ直後の話⑧

第9話 脱サラ直後の話⑨

第10話 タツヤという男①

第11話 タツヤという男②

第12話 タツヤという男③

第13話 新居はいわくつき物件①

第14話 新居はいわくつき物件②

第15話 ビジネスの種①

第16話 ビジネスの種②

第17話 ビジネスの種③

第18話 新生活①

第19話 新生活②

以下、本編。

===============

2014年1月14日、その会社は設立された。

 

将来的な公益化を目指した社団法人である。

営業能力の規格化(目に見える化)、起業支援が主な事業内容だ。

それを社会貢献に繋げることで、将来的な公益化を目指す予定だった。

旗揚げ式には約10名の外注営業マンが集まり、理事に就任した俺と大島の方から事業概要を説明した。

会場は栄4丁目の小さな貸し会議室。

登記住所は名古屋市東区にある小さなレンタルオフィスだった。

俺には”営業”という業界に対して恩義があった、営業という職種に就いてなければ今の俺は居なかったからだ。

だから、いつか営業という業界に恩返しがしたかった。

よくスポーツ選手などがプレイヤーとしての現役を引退した後、監督や解説者、興行主として業界に恩返しをしていきたいと発言したりするが、それに似ている。

そして、個々の営業力が向上すれば自然と起業する人間も増えていく。

今、日本の生産労働人口に於ける開業率は4.6%だが、それを増やす為の貢献にもなる。

開業率が増え、営業力の向上により売上が伸びた企業が一年でも事業の継続年数を伸ばせば、そこに雇用機会も生じる。

それは、社会貢献になる。

その実績を持って公益化を実現し、半官半民の会社まで漕ぎ着く。

学歴もコネも無い俺が、社会に”俺という存在を認めさせる”にはこれしかないと思った。

 

そういう狙いがあった。

結論から言うが、結果としてこの会社は設立後二年未満で空中分解する事となる。

勿論、それまでの軌跡として百社近い事業主や会社の立ち上げをサポートし、それなりの実績も残せたと思う。

ラジオ出演や雑誌掲載、出版や講演会など俺を始め幹部の数名には社会的な信用に繋がる実績が作れたのも事実だ。

だがその分、外注営業マンによる無理な営業活動が発端となったトラブルも度々起こるようになった。

勿論それは経営側の責任でもあった。

そんな中で内部に亀裂が生じていき、いつしか空中分解という悲劇を迎えた。

…。

この辺りの事は、俺の過去のFacebookの投稿を読んでいただければ色々と推計出来ると思う。

この文章を書いている今現在まででも、決して順風満帆な人生では無かった。

実際に法人として立ち上げた会社は、殆ど利益など出していない。

出た利益は全て投資に回していたし、法人を立ち上げてからこの数年、会社からの役員報酬はほぼ0円だ。

件の社団法人分裂後立ち上げた不動産、建築コンサルティング会社も、ものの二年で休眠化せざるを得なくなっている。

実店舗も出していたが、他社に譲渡せざるを得なくなった。

顧客と売掛の取り立てを元に、裁判三昧の一年を送った事は記憶に新しい。

どれもこれも全て原因は、人間関係のトラブルだった。

人と組んだ途端に、何もかも上手くいかなくなる。

だからこそ、去年から俺は実質的な”個人也”をした。

そして、新規で獲得する案件も年間数件に留め、得た売上を投資運用に回す事で現在の収入としている。

我足るを知るという言葉があるが、人には”分”というものがある。

何も無いところから法人を立ち上げ、人を使い、取引先、拠点を拡大する事でそれをまじまじと実感した。

そもそも、サラリーマンを辞めた原因も人間関係のトラブル。

自分一人の裁量で行う営業活動では、サラリーマン時代も、独立してから今現時点でも全く苦労をしていない。

俺にとって、営業活動はもはや”営業”では無い。

空気を吸うのと変わらない感覚。

 

でも、それを”誰か”と行った途端に息苦しいものに変わる。

”仕事”に変わる。

だったらそんな煩わしさは自ら手放せば良い。

人間関係など、邪魔なだけだ。

…。

さて、話を戻すが。

世間でいう”社長”のイメージと実際に会社をゼロベースで起こしてきた”等身大の社長”にはとてつもなく大きなギャップが存在する。

社長=華やか、という世間のイメージはいわゆる親や先祖の地盤を引き継いだ二世・三世社長のそれだろう。

我々の中では同じ社長という肩書きでも”創業者”と”二世・三世社長”ではそもそも違う。

それぞれ良し悪しあるだろうが、ゲリラ戦では我々創業者組は滅法強い自信がある。

元々何も無いところからスタートしている分、再現性も極めて高い。

何より貧乏に強く、どんな環境でも適応能力がある。

今この瞬間に顧客を全て捨てて新天地で新たに事業を立ち上げろ、と言われたらそれが朝飯前に出来てしまうのは創業社長の方だろう。

だから我々創業社長は二世・三世と一括りに”社長”と呼ばれるのを極端に嫌う。

彼らなりの苦労はあるだろう、寧ろ先代の借金も引き継いでしまった二世・三世も居ると思う。

でも、そんな事は我々、少なくとも俺に言わせれば贅沢な悩みだ。

住む家も、仕事環境もあるのだから。

 

焼け野原を経験してみろ、と言いたい。

最後になるが、俺が今回この創業時の話を全20話にも登って書いてきたのには訳がある。

この記事をアップしてから1日のPV数が100人増加し、滞在率は2倍、直帰率は1/2になった。

それだけこのホームページを訪れてくれている皆さんに、記事を読んでいただいているのだと思う。

とても有難く感じる。

ただ一言言わせてもらえるのであれば、ホームページを訪れて記事を読むだけで満足して欲しく無い

俺の本業は今も昔も起業支援、開業支援だ。

売上に困っている中小零細企業の経営者さんをサポートし、これから起業を志す若者にエールを送る事だ。

勿論、たった一人で行っている事業なので限界はある。

年間で請けられる仕事数もたかがしれている。

だからこそ、私が会って直接伝えられない人に向けて”ブログ”という形でメッセージを発信した。

こんなヤツでも起業して何とかなってるんだから、俺にもチャンスがあるのでは?

 

是非そう思ってチャレンジして欲しい。

少なくとも、今この記事を読んでいる方で創業当時の俺より酷い状況の方は殆ど居ないはずだ。

当時の俺が出来て、あなたに出来ない訳が無い。

 

俺はそう信じている。

そしてこれにて、全20話に登ったこの話も一旦フィナーレとしたい。

またタイミングがあれば、その他のサイドストーリーも書いてみようと思う。

ただし、墓場まで持っていくべき内容もあるので書ける事は少ないかもしれないが。笑

最後となったが、もしこの記事を読んで何か心に響くものがあった人は、どんな事でも良い、

俺に連絡をしてきて欲しい。

出来ればメールで、俺は電話が嫌いなんだ。笑

メールで連絡をしてみる。

きっと48時間以内には返信出来ると思う。

さて、明日からは、更に時間を遡って俺が”営業”という仕事に出会った頃の話をしていきたいと思う。

当時18歳の俺、舞台は京都だ。

楽しみにしていてくれ。

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