前回までの話↓↓
以下、本編。
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2014年の春、俺は名古屋にいた。
少し遡ること2014年の1月、俺はタツヤと一緒に無事”いわくつき”物件を離れる事ができた。
その後、同じ知多市内にある新舞子のアパートを借りて暫く暮らした後、春から名古屋に住むことになったのだ。
僅かではあるが定期的に事業収入も入るようになり、個人や個人事業主に対する営業コンサルティング以外にも二つの新事業を始めようとしていた。
一つ目は、某キャリアショップに対する営業コンサルだ。
俺自身が現場の応援に入ることもあったが、メインはショップ内のスタッフに商品を売らせるよう営業の指導をする事だった。
いわゆるB2B2Cという体型だ。
二つ目は、某外資系クレジットカードの営業要員だ。
以前の記事で、二度と他者の商品を扱わないと決めたと書いたが、
この二つは大企業からの直接の仕事だった為、今後のキャリア実績になると思い仕事を請ける事にした。
新しく始めた事業も少しづつではあるが順調に売り上げが伸びていき、人員を増やすことになった。
そうはいっても立ち上げたばかりの会社に人を雇用する力は無く、業務委託という形で営業マンを集めた。
そしてその時の出会いが、後々自分にとって人生の分岐点の一つとなるのだが、
それはまだ少し、先のお話だ。
少し話は逸れるが、俺には名古屋に出て来てすぐお付き合いをした女性がいた。
容姿も端麗で、性格も明るい子だった。
自分が事業を立ち上げたばかりの時に出会った為、デート一つにしてもお洒落なお店や旅行にもなかなか連れて行くことも出来ず、苦労をかけたのを覚えている。
彼女とはその後数年お付き合いする事になったのだが、公私ともに大変お世話になったと今でも感謝している。
話を戻すが、
公私ともに順調にみえた名古屋での生活に、ある日突然転機が訪れたのだった。
続く。