前回までの話↓↓
以下、本編。
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丸二日ぶりのシャワーを浴びた俺は満喫の自席で残り時間を楽しんでいた。
漫画を読むのも、PCを触るのも何故か新鮮に感じた。
周りにあるもの、その全てが有り難く感じる。
有り難い、とはこういう事なのか。
日常に有り難い、だから感謝をする。
それが本来の有り難いという言葉の意味。
周りに物があって当たり前、なんでも手に入って当たり前の環境では決して気づく事が出来ないこと。
こんな状況でも、いや、こんな状況だからこそ、学ぶ事ができた。
なんとかして、この状況を打破してやる。負けてたまるか。
元々、このまま野垂れ死んで終わる人生だったのならそれも仕方ない。
でも、そうじゃないのなら…!
これが、成長の為の糧であるなら。
決して、乗り越えられない壁ではない。
例え、カネやコネが無くても。
無一文でも。
全くのゼロベースでも。
なんとかして、生き抜いてやる。
例え、法を犯すような事になったとしても、死ぬよりはマシだ。
後に、俺は事ある毎に”貧困が犯罪を生む気持ちは痛いほど分かる”と人に言うようになるのだが、
それはこの時の経験が元になっている場合が大いにある。
清貧を貫いても、結果みじめに死んだら意味が無い。
それよりは、先ずは自分が食いつなぐ事。
第三者への、社会への配慮など二の次。
モラルなど、何不自由なく生きてきた奴らの綺麗事だ。
今はどんなに貧乏でも、絶対に生き抜いてやる。
生きようとする活力の源は、決して健全なものではなかったかもしれない。
そこには、こんな自分を生んだ社会に対する恨みのような感情が確かに混ざっていたから。
それでも、勝てば官軍、負ければ賊軍。
いかに心が清くても、野垂れ死んだらただの負け犬で終わってしまう。
それだけは、我慢ならなかった。
そしてこの活力が、今後数々の奇跡を生んでいくとは…、
その頃の俺は予想だにしていなかった。
続く。