前回までの話↓↓

第1話 脱サラ直後の話①

第2話 脱サラ直後の話②

第3話 脱サラ直後の話③

第4話 脱サラ直後の話④

第5話 脱サラ直後の話⑤

第6話 脱サラ直後の話⑥

第7話 脱サラ直後の話⑦

第8話 脱サラ直後の話⑧

第9話 脱サラ直後の話⑨

第10話 タツヤという男①

第11話 タツヤという男②

第12話 タツヤという男③

第13話 新居はいわくつき物件①

 

以下、本編。

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”この家”に住むようになり数日、バラガマの使い方はいまだに慣れず水シャワーを浴びる毎日が続いた。

季節は真冬。

知多半島の海風からくる寒気は、容赦無くこのあばら屋に降り注いでいた。

全財産も残り1,000円を切ろうとしていた。

 

流石にそろそろ食い扶持を見つけないとまずい。

奇跡的に帰る家が出来たことは良いが、お金が無ければ飯は食えない。

当時タツヤは同じ知多半島にある、中部地区最大の国際空港セントレアの某レストランでキッチンのアルバイトをしていた。

その為、朝早く家を出て、帰りも遅い。

無気力状態に陥っていた俺は、朝から晩まで家に籠る日々。

食事は道を挟んだ向こうにある100円ローソンへ行き、ボテトチップス増量タイプを買い1日3回に分けて食べているのみだった。

それにも飽きたら家から歩いて10分の所にある、サークルKで100円で売ってるコロッケが17時過ぎに半額の50円で売りに出されるのを待って買って食べる日々が続いていた。

そんな俺を見かねて、タツヤは朝方コンビニにアルバイトへ入り、廃棄弁当を俺に届けてくれたりもした。

今思えば感謝しかないが、一向に俺は気力が湧いてこなかった。

荒んだ日々、そんな日々が続いても安易に働くことはしたく無かった。

誰かの下で働くくらいなら野たれ死んだ方がマシ、一度人の上に立った人間は、絶対に人の下に付いてはいけない。

 

こんな状態になりながらも、俺にはトップセールスとして上場企業の幹部で働いていた事の誇りがまだ残っていた。

プライドは捨てない、ボロボロになっても。

当時死ぬ気で働き、手に入れた地位。

そして結果的に、その地位を手放さざるを得なかった自分。

高級賃貸から、家賃0円のいわく付き物件へ。

転落人生、無気力状態になり、一時は自殺も考えた。

それでも、死ねない自分。

死ぬ事すら出来ない自分がいた。

そして、どうせ死ねないのなら、生きるしかないと開き直ることにした。

俺は死ぬ勇気も無い、だったら生きてやる。

生きて、社会に俺という存在を認めさせてやる。

 

その為には、一時的な貧乏なんて甘んじて受け入れてやる。

武士は食わねど高楊枝と言うが、その時の俺はまさにその心境だった。

ボロは着てても、魂までは売らない。

何を持って魂を売る事になるのかは人それぞれだろう。

きっとその人にとって”絶対に譲れない何か”がその魂になるのだと思う。

そして、俺にとっては、見る人によってはチンケに映るかもしれないがそのプライドが”それ”にあたった。

俺は残りの全財産1,000円と少しを握りしめ、駅に向かった。

当時身に付けていた、僅かばかりのブランド物を質に入れる為に。

LVのショルダーバック、そして名刺入れ、財布。

最後に残った、自分の醜い見栄と決別する為に。

1,000円しか入っていないLVの財布になんの価値があるのか。

 

俺に、LVの財布を持つ資格は無い。

かつてサラリーマン時代、服はアルマーニかバーバリー、小物はLV以外身に付けないと断言していた成金主義の俺とオサラバしてやる。

その成れの果てが今の自分、何の価値も無い。

今までの強欲で見栄っ張りな成金主義の、醜い自分とは今日でお別れだ。

そして、この三点を名古屋市内の大須にある質屋に入れ、約10万円の現金を手にすることが出来た。

そしてその10万円が、俺の事業家としての最初の資本となったのだった。

 

続く。