限られた時間の中で、ベストパフォーマンスを出す。
シンプルな言葉だけど、今のビジネスシーンで一番求められていることじゃないだろうか。
かつての高度経済成長期の様な、モーレツ社員はもう要らない。
かくいう私も年は若輩なれど、サラリーマン自体は知る人ぞ知るモーレツ社員であったことは当時の仲間内でも今だに語り草になっていると聞く。
良い言い方をすれば熱血、悪い言い方をすればただの無鉄砲、上司として考えればただのパワハラ、だ。
だが、当時のその環境ではそれが善とされていた。
兎に角、長く、熱く、激しく。
高度経済成長期の日本もそうだろう。
時代、時代、環境、環境に求められる働き方があるのは事実。
能力だけじゃだめだ、商品力だけでもだめだ、時流を読む先見性がビジネスの成功では不可欠だと言われている。
まさに今がその過渡期、転換期ではないだろうか。
先般、過酷な労働環境で惜しくもその人生に幕を閉じてしまった女性が居た。
業界ではその会社のスキャンダルに触れるのは長くタブーとされていたが、今回、奇しくもメスが入った。
それは多くの業界人を驚かせたことだろう、と同時にただ単に長く、熱く、激しく仕事をするモーレツ社員文化の終焉を知らせたのではなかろうか。
ここに、分水嶺は確実にある。
そもそも、何故”日本のサラリーマンは世界最強”だと揶揄も込めて言われるほどモーレツ社員文化が重要視されてきたのか。
まさにそれは時代背景に起因している。
インターネットも一部の権力者、軍部でしか用いられていなかった戦後、高度成長期。
この国、日本は敗戦国だ。
東京、主要都市はアメリカからの空襲で文字通り焼け野原となった。
普通の民族なら、間違いなく土地を捨てるだろう。
何故なら、日本以外のほとんどの国は陸続きで国境がある。
肥沃な土地などいくらでもある。
その土地が駄目なら他の土地に行けば良い、移民になれば良い。
だが、この国は違う。
島国だ、四方を海で囲われ、それ故に有事の際の防御力は他国の追随を許さないが、脆さも兼ね揃えている。
先の敗戦では、それが露呈したのだ。
一所懸命という言葉がある。
一つの場所を命を懸けて守るという武士道の言葉だが。
当時の日本人は、たとえ焼け野原であろうと、この場所でもう一度再起する以外の選択肢しかなかったのだ。
それを思うと、当時のこの土台を築いてくれた諸先輩方には頭が下がるばかりだ。
どれだけ悔しかっただろう。
プライドの塊の様な日本人だ、負けるくらいなら死を選ぶほどの人種だ。
それが、死ぬ事も許されず、敗者のレッテルを貼られ焼け野原を耕す他なかったのだ。
想像すると、涙が出てくる。
間違いなく、当時の日本人、彼らの血の滲むような苦労、努力があって今の私たちがいる。
それは絶対に忘れてはならない。
話を戻すが、つまり、当時は本当に何もなかった。
だから、とにかく働いて働いて物を作るしかなかった。
休もうにも家も無い、寝る場所も無い、だったら一刻も早くその場所を作るしかない。
車も鉄道もない、電気水道、ガス、インフラも着るものも食べ物すらも…自分たちで作る以外に方法がなかった。
故に単純な労働力×労働時間、そんな方程式が善とされたのだ。
いや、間違いなく善であっただろう。
それ以外の選択肢など、ある訳がなかったのだから。
効率化、なんて言葉を唱える暇があったら汗をかいて頑張るしかなかったんだ。
何度も言うが、そんな先輩方のお陰て今のこの豊かな先進国の日本がある。
感謝しなければならない。
…。
さて、話は現代へ。
今、あなたの周りを見渡したとき、あなたの家の中を見渡したとき、
生きていく上で必要不可欠な物が無い、という方は極々少数だろう。
それほど、今の日本は物に恵まれている、物に、溢れている。
名古屋から東京までは新幹線で1時間30分もあれば行ける。
京都までは35分だ。
テレビだってこんなに薄くて綺麗。
人類は宇宙に旅行へ行き、豚の細胞から人間の心臓を作る時代だ。
クローン動物だってわんさかいる。
50年前の人が見たら尻餅を突いてびっくり仰天するだろう。
まさに天を仰ぎみる様だ。
つまり、もうこれ以上生活の為には物を作らなくても生きて行ける時代になったのだ。
生きていく為、というお題目をクリアした先には何があるか。
個人レベルの、日々の充実である。
仕事をすることで生きていくことは取り敢えず誰でもできる、人並みの給料ももらえる。
次は、生活を充実させることだ。
価値観が、この50年で変わったのだ。
だったら、いかに効率良く仕事をし、お金を稼ぎ、限られた24時間という時間を使い、日々を充実させるかに焦点が行くのは当たり前だ。
家庭を持つものは、奥さんや子ども、ペットがいたらペット…。
独身時代に比べ、限られた時間の使い道が多岐にわたる。
大忙しだ。
その屋台骨が仕事だとしても、それだけに注力していたらたちまち家庭は崩壊するだろう。
それは一見個人の問題の様に映るかもしれない。
「いやいや、仕事も家庭も上手く両立させるのはその人の甲斐性でしょう」
そういう声も聞こえて来そうである。
確かに甲斐性だ、要領が良い人はそれでもそつなくこなす事ができるだろう。
でも、そんな人ばかりではない。
むしろ、大多数が不器用で割りを食う様な人種なんだ、日本人というのは。
生真面目なんだ、だから多少の自己犠牲は厭わない。
その結果、どこかで歯車が狂い、何かを犠牲にしてしまう。
これはもはや個人の問題だけでは無い、家庭崩壊する人が増えていったらどうなると思う。
少子化問題も更に悪化し、この国の将来を担う労働力も低下、たちまち国力が低下し、結果またかつての様に外国から付け入られる隙が生じる。
今ですら北朝鮮から虎視眈々と資源を狙われている状態、これ以上足元を外国に見られて良い訳がない。
家庭の乱れは世の乱れだと、近代以前の将軍家では言われていた。
大権現と呼ばれた徳川家康は、世界中でかつて無いほど平和な250年という江戸時代の礎を気づいた。
彼が大事にしていたのは、やはり家庭なのである。
家庭の安定が国の安定に繋がるという事を、長い間人質で家族と離れ離れだった経験のある徳川家康は知っていたのだ。
その為には、限られた資源の中で、限られた時間の中で効率良くことをこなす必要がある。
それは、仕事であれ、家庭であれ同様だ。
仕事が家庭を、逆に、家庭が仕事をお互いに干渉しあっていては良い結果は生まれない。
割り切ってこなす事だ。
逆に言えば、仕事を家庭に押し付ける職場は今のこの世の中には合っていないという事になる。
拡大解釈をして行けば、国の安定を揺るがす歪みを生じる可能性だってあるのだから。
想像してみてほしい、簡単な事だ。
毎晩毎夜、飲みに行き女を侍らせている国家元首がいる国が正しく繁栄すると思うだろうか。
逆に、365日官邸に籠り、一切の家族サービスを執事に任せている国家元首に国民の何が分かるというのか。
かつては良かった、効率など二の次でただ目の前の仕事をこなし、生産し、物を増やして行けば良かった。
単純な労働力×労働時間の方程式が最上とされていた時代もあった。
だが、今は違う。
何でも効率が求められる。
今の時代、仕事が出来る人というのは、
限られた時間の中でベストパフォーマンスを出す人なのだ。
何も家庭だけの話ではない、世の中の全ての事象で資源は限られている。
家を建てる事にしても、建坪も建ぺい率も容積率も決まってるんだ。
結果は限られた資源で出す。
だらだらと時間に頼んでする仕事は、いつまで経っても工期が終わらない建設現場と同じだ。
それを仕事が出来る、頑張っていると褒める方がおかしいだろう。
なんでもルールがある、その中でベストパフォーマンスを出すことが美徳なんだ。
仕事の為に身を粉にしている人は美しいと思う、心から。
だがそれは効率あってこそ輝くのが現代だ。
単純な労働力による価値観を人に押し付けていてはいけない、良いリーダーであれば尚更、仕事もプライベートも充実している。
そういう背中を、次世代の後輩、部下に見せてあげるのが頼れる次世代のモーレツ社員なのではないだろうか。