唐突ですが、
僕には友だちと呼べる人が殆どいません。
もちろん、過去にはそれなりに居ました。
むしろ多い方だったかもしれません。
ですが、そのほぼ全てと今は縁が切れています。
それは意図的に絶った縁もあれば、必然的に切れた繋がりもあります。
中には私が至らないばかりに、相手が愛想を尽かしたこともあったでしょう。
それぞれが、昔の関係のままでは居られない。
住む世界が変われば、自然と付き合いもなくなる。
プライベートで外食するお店も、身に付けるものも変わってくる。
付き合う相手も変わってくる。
ときに時間は残酷だと言うけど、果たしてそうだろうか。
もちろん、その場にとどまり、昔と同じ人間関係を続けることも出来ただろう。
だけど、私はそうしなかった。
変わる為の、第一歩を踏み出した。
昆虫が脱皮するように、周りの人間関係から脱却していきながら。
それは一度や二度ではない、むしろ毎年、早ければ数ヶ月ごとに自身に変化することを課している。
一緒にいて、互いに生産性の無い人間関係は断ってきた。
新たに出会うことすら、今は拒んでいる。
連絡先も、数年前と比べて10分の1以下まで減った。
名刺も滅多に相手に渡すことはない。
これを聞くと、周りの人は私のことをとても怜悧な人間だと思うだろう。
一般的には合理主義という部類に入るのかもしれない。
しかしながら、少なからず私と同様に自営業者の人間はそうじゃ無いだろうか。
綺麗ごとだけでは生きていけない、よく経営者は孤独だなんて言われるが。
私はその通りだと思う。
むしろ自分から進んで孤独を受け入れるようにしないと、次のステップにはいけない。
そう考えている。
業種は全く違うが、スポーツ選手だって、プロは孤独との戦いだ。
多くの日本人が好きな野球にしても、四番バッターは球団に一人しかいない。
チームメイトに支えられていたとしても、四番バッターの自身にしか分からない苦労は絶対にある。
これはスポーツだけの話ではない、剣術を始め、柔道、その他武道にしてもそうだ。
芸術でも、歌でも、営業会社でも、トップは一握りしかいない。
当たり前のことだが、トップは、何かの分野で一流の成績を出し続けている人は常に少数なのだ。
それを受け入れない限り、人は大成できないと言わんばかりに…。
勝負の世界は残酷だ。
屍を越えて行く覚悟が要るとは、言い当て妙。
私ですら、昨日まで同じ釜の飯を食べていた仲間に翌日制裁を加えなければならない事態は何度も経験した。
それこそ、心を鬼にしないとできない事だった。
その一瞬で、相手の存在全てを否定するくらいの感情を喚び醒ますような感覚。
そのオンとオフを日常的に、何度も繰り返すうちに冷静に相手を追い詰めることができる自分が生まれた。
相手が泣いても、喚いても、一切を許さない。
追い詰める時は、とことん追い詰める。
そういう感情。
そして、それには大変な覚悟が伴う。
逆恨みされる事を恐れていては、何も出来ない。
そういう人生を選んだのは自分、その為に得たものも多いが、失ったものの方が多いんだと思う。
ここでは話せないことも沢山経験してきた。
やってきた。
お店も、会社も潰した経験もある。
逆に、若い時には詰めらたことも。
お客さんや、取引先に損をさせた経験だって数え切れないほどあっただろう。
裏切りも何度も経験した。
その全てが糧となり、今の自分が居る。
私は現在、法人の清算を専門家に依頼し、去年から事業を個人なりにしている。
その経緯にも、また色んなドラマがあった。
語り尽くせないくらいに。
だが、成功体験だけではなく、その様な失敗体験があるからこそ、今の私はコンサルタントとしてクライアントと真摯に向き合うことが出来るようになったのも事実。
かつてほど、新規は受け付けておらず、年間数件のみだが、その分一人一人に充てる時間は多く取れるようになった。
良い顔だけをするのではなく、クライアントにとって耳が痛い事でも積極的に諫言することこそ誠実さなのだと今は思う。
ダイエット中のクライアントが甘いものをねだっても、プロのトレーナーがそれを許さないように。
甘いものを食べたがるクライアントを諌めるように。
例え嫌な顔をされても、不機嫌になられても、中長期でみればそれが相手の為になる。
だから、例えその時は嫌な経験だったとしても、決して過去を否定してはいけない。
過去があるから今がある。
私自身、失敗したからこそ分かることが確かにあった。
サラリーマン時代を含め、こと仕事において、お金を稼ぐ事においては私は人より要領が良かった。
だからこそ、人の気持ちを理解しようとしなかった。
その傲慢さが、数々の失敗を生んだ。
それらの失敗経験を交えて感じた事、学んだ事、自分が実際に経験した中で伝えられること全てを伝える事が今の私の仕事。
そう思っている。
私は、私にしか出来ない人生を、
そして、あなたにはあなたにしか出来ない人生を送ってきた。
その軌跡こそが、人の生き方なのだと思う。