インターフォン越しにオートロックの扉を開けることに成功した森主任と俺は、エントランスをくぐり、相手の部屋の前に来ていた。
102号室。
入り口の扉に付いているインターフォンを押すと中から30代くらいの主婦と思われる女性が出て来た。
初めまして、N○Tテレポケット、キーリングの森と申します。
主婦に挨拶をする森主任、そして会釈をする俺。
今ご自宅でインターネットはお使いでしょうか…?
森主任は相手のインターネット環境を確認すると、回線の種類やプロバイダーの会社名などをヒアリングしていった。
当時集合住宅で使われているインターネットは、回線の主装置をマンションの共用部に取り付けて、
各部屋にインターネットを分配して利用する、VDSLという方式が取られていた。
いわゆる、マンションタイプと呼ばれるものだ。
今でこそ一般家庭でのFTTH(光回線)利用が当たり前になったが、当時は一軒家用のファミリータイプは無くマンションタイプがあるのみだった。
この頃の一般家庭にあるインターネット回線の種類を大きく分けると、
ナローバンドはダイアルアップとISDN。
ブロードバンドはYahoo!B.BやDIONなどのADSL、そしてケーブルテレビが提供しているインターネットサービスが主流だった。
そこからの契約切り替えによる、FTTH新規加入を促進する営業が俺たちの仕事だったのだ。
一通りヒアリングを終えると、相手のインターネット環境はADSLという事が判明した。
ADSLは…容量にもよるが、殆どの場合FTTHに切り替えることでインターネット回線が上り(アップロード)も下り(ダウンロード)も早くなる。
値段は殆ど変わらず、だ。
森主任はパンフレットを見せながらその旨を丁寧に説明すると、相手も納得したようで契約となった。
契約書を交わし、出先即決と呼ばれる取次フローでインターネット回線開通工事の工事日予約を済ませた。
これで、一通りの申し込み手続きは終わりだ。
森主任と俺は、102号室の奥さんいお申込みの御礼を伝え部屋を後にした。
そして集合玄関口に戻ると、103号室から順にピンポンを再開した。
結果的にこのマンションでは日中は在宅率が悪く、殆ど人と話せなかった。
森主任と俺は、また時間を改めて再訪することにした。
どれだけエリアが荒れていても、全部の部屋の住人と話をするまでリストは変えない。
それこそ探偵のように、各部屋の特徴や在宅時間を調べ尽く。
稼働曜日の在宅率が悪ければ、休みの日にも訪問したりしていた。
居留守も勿論いるが、裏手に回り洗濯物の干し具合、電気メーターの回り具合、
ポストに郵便物が溜まっているかどうか、などを見て本当に居留守なのかを判断する。
とにかく、契約を取る事が命。
ボーズ(その日の契約が0という意味)、ダンゴ(契約0日が続くこと)は絶対に避けなければならない。
労働時間?残業手当??そんなの関係ない。
弱虫どもの屁理屈だろ?そんなもん。
それが、俺たちのスタイルだった。
この日はマンション10棟のエリア。
それぞれの物件を6訪以上はしたので、少なくとも60回以上は物件の間を往復したことになる。
それこそ足が棒になる、気の遠くなる作業。
雨だろうが、雪だろうが、外が40度の灼熱だろうが関係ない。
とにかく根気との闘いだった。
1日目のOJTで現場の雰囲気を掴んだ俺は、翌日現地で森主任と朝のMTGをしたあと1人で現場を廻ることになった。
初日から契約を取れた新人は殆どいないから、まあ練習のつもりで肩の力を抜いて頑張ってこい!
森主任はそう優しく背中を押してくれたが、”初日から契約を取れた新人は殆どいない”なんて言われると俄然やる気が出た。
絶対に初日から契約を取ってやる・・・!
俺はヤル気に漲っていた。
続く。