唐突なタイトルで申し訳ない。

実は私、が付くほどの歴史オタクなんです。

特に戦国時代〜幕末期までの歴史が大好きで…。

ヘンゲルの螺旋的発展、という言葉があるのですが、

 

簡単に言うと、歴史は形を変えて螺旋階段のように繰り返すという意味です。

歴史に名を残す人物や、現代でも経済的・政治的に成功を収めている人は皆総じて歴史好きが多いですよね。

未来を紐解くヒントは過去の歴史にあると私は思っています。

この考え方はビジネスにも応用が効くと思い、この記事を書いているのです。

さて、今回のタイトル”坂本龍馬暗殺の根本的理由から見るビジネスマンの心得”についてですが、

日本史最大のミステリーの一つにも数えられている坂本龍馬暗殺。

 

一般的には会津藩主の松平容保もしくは、その実弟で桑名藩主の松平定敬の下知(命令)で見廻組が実行部隊として手に掛けた…。

という説が有力だと言われています。

新撰組が実行犯…だと思っている人は当時の歴史には知識的に暗い方だろうと思います。

少し調べれば、新撰組が坂本龍馬を襲うことは当時の政治の力学的にありえない話なんです。

因みに、話はそれますが日本史トリビアとして一つ話をしたいと思います(知ってる人は知ってる内容です)。

皆さん、”しんせんぐみ”って新組なのか新組なのか、迷ったことありませんか?

と、同様に”さかもとりょうま”も坂本馬なのか坂本馬なのか判断付かない時ありますよね。

これ、ぶっちゃけると

両方正解なんです。

 

と、言うのも当時の日本語は音を優先しており、漢字は殆どの場合当て字なんですね。

なので極論、読み方さえ合っていれば漢字は何でも良かったんです。

さて、話を戻します。

その坂本龍馬ですが、薩長同盟、大政奉還という大仕事をやってのけた歴史上の大傑物と現代では言われていますね。

また、日本初となる亀山社中という株式会社を設立したり、

日本人として初めて新婚旅行に行ったり、日本人として初めてブーツを履いたり…など。

とにかくお洒落で先進的なイメージがありますね。

何より、ドラマや小説、漫画でのそのアッケラカンとして掴み所の無いキャラクターにも関わらず、

剣術の達人(近年まで賛否ありましたが2015年に北辰一刀流免許皆伝の物証が出てきました)というギャップや、その先見性から大仕事を成し遂げたという描写で現代で多くのファンを獲得していますね。

ただ当時の日本人からすると、坂本龍馬(もしくは才谷梅太郎)の名前は一部役人のみの間で知ってる人が居ただけで、

明治16年に高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾とう作家が書いた『汗血千里の駒』が掲載され、庶民の間でも話題になったことで初めてその名が世間に知られるようになったと言われています。

つまり、自分自身は表に出ず(下級武士である為、身分上出れない場も多かった)暗躍していたんですね。

そして念願の大政奉還が叶った直後の1867年12月10日。

京都市内の近江屋(京都河原町近江屋井口新助邸)で、31年の短い生涯を閉じる事になります。

実行犯は前述の見廻組だと言われる中、その暗殺背景、理由、黒幕は諸説ありますね。

ただし私の中での彼が暗殺された根本は、討幕(倒幕とは厳密には違います)思想・佐幕思想といった思想の違いや政治的背景以前に、

彼の中にある”商売人気質”が災いしたのだと考えています。

それが今回のメインテーマであり、現代のビジネスマンが生き抜く上でも大切なキーポイントとなります。

何を隠そう、彼は現代にも通じる取引上のタブーを犯していたんです。

 

何故坂本龍馬は暗殺されてしまったのか…。

次回、ビジネスの観点からその核心に迫っていこうと思います。

続く。