専門書を読んでいると,つくづく自分が嫌になる時がある。
まさに今、そうなったので、気持ちの整理で随筆を書く事にした。
(少しの間だけ、私のこのくだらない自己満足にお付き合い頂ける方がいれば、此れ幸いである…。)
さて今回の様に、時折、余りの嫌悪感に、頭を掻きむしり、ぶつくさと独り言を言い、深いため息をつく。
時にはグーで自分の顔面を殴る事まで、ある。
つくづく、自分は視覚から知識を得る事に向いていないという事を再確認させられるからだ。
しかしながら、本を読む事自体は好きだ…、多い時で1日2冊以上読む事もある程に。
もっとも、私が好んで読むジャンルは決まっており、歴史物等のノンフィクション小説だったり(フィクションは読まないが)、対話形式のインタビュー本だったりする。
つまり、読んでいながらある程度の情景が頭に浮かび、自分がアバターとして仮想体験をする事が出来るものを好む。
よって、専門用語の嵐である、専門書というのは全くその限りではない。
イメージが沸かない、仮想体験のしようが無い。
まだ判例六法などの刑事事件の判例は、
その時の裁判や、犯罪の背景などを想像出来るので飲み込みが早い部分もあるが…。
それ以外の法令、判例などはテンでダメである。
そして、専門書の中でも、特に数式的表現が出て来るコンピューター系の専門用語などは、10pも集中して読んだら本当に眠くなってしまい全く読が進めない始末だ。
本当に、嫌になる。
つくづく、視覚優位とはほど遠い。
拙著(営業処方箋)にも記載したが、人には表象優位性というものがあり、
人によって、
・視覚優位型
・聴覚優位型
・感覚優位型
の3種類に大きく分けられる。
それぞれの優位に対する詳細説明は割愛するが、私は視覚優位型とはほど遠い。
聴覚優位を含む、感覚優位型なのだ。
だからこそ、高校の時理系専攻だったのにも関わらず、ヒアリングなどの聴覚を使った授業や試験の多い英語の方が成績が良かった。
教材も、専ら耳で聞くタイプの音声教材を好み、通学通勤途中にイヤホンで聴いていたし、今でも新しく身に付けるべき知識があれば、そうしている。
数学など、いくら勉強しても教科書、つまり視覚からの情報は全く理解が追いつかず、自分で何回も解いて体験して漸く理解できたものだ。
何事も、体験しないと身に付かない、それが顕著なのが感覚優位型なのである。
ほんとうに、面倒くさい。
一方で、身に付くまでは人様より時間がかかるが、一度身に付けると決して忘れる事がないのがこの属性の特筆すべき長所でもある。
特に、それ自体を丸々体験していなくても、応用が効く疑似体験を過去に1つでもしていれば、
脳が勝手に類推して判断し、動く事が出来るのには、自分自身手前味噌ではあるが、何度も助けられた。
この様に、人生で起こる様々な事象に於いて、一番応用が効くのもこのタイプではあるので、今となってはかなり助かっている事も多分に有るのは確かだ。
ただし、頭で例えそれが悪い事だと分かっていても、体験して、実際に失敗してみないと理解出来ない。
こればかりは、他の属性の人には到底理解出来ないだろう。
つまり、とても面倒で、傲慢で、不器用な属性でもあるのだ。
特に、私の場合はその傾向が強い。
そのお陰で、常人では絶対にしないであろう大きなミスをする事が…、10年に1度くらい、ある。
30を過ぎてもうこの属性を直そう(正そう?)とは思わないのだが(実際直す事は非常に困難である!)、冒頭に述べたような際にはつくづく自分で自分をぶん殴りたくなる衝動に教われる。
これを読んでいる貴方(女)も、こんな気持ちになる事はあるのだろうか。
その様な困った癖(?)があれば、是非話を伺ってみたいものである。