お客様は神様、という言葉。

皆さんはどう思われるでしょうか。

因みに、ここでいう”皆さん”の中には、

雇用者も、被雇用者も含まれています。

そして当然、

雇用者側と、被雇用者側では考え方も異なります。

ただ、この私の問いかけの答えに対し、単に”数が多い=正論”と位置付けてしまうことは出来ません。

なぜなら、

日本の生産労働人口の内、年間で創業する人口は全国で5%未満。

残りの95%以上の人間が、被雇用者側ということになります。

つまり、

この場合でいう”お客様”とは、消費者という意味合いで”被雇用者側”が占める場合が多く、

よって、単純な数の同意の上では、世の中の95%以上を占める被雇用者側の意見の方が圧倒的多数ということになるからです。

日本は多数決の原理を採用していますが。

勘違いをしてはいけないのが、必ずしも”同意が多い=正しい”、という事にはならないという点です。

数が多いという事と、その物事が正しいかどうかは関係がありません。

因みに私は、

お客様=神様、という言葉が大嫌いです。

それは、今が雇用者側、つまり自営業者の立場だからという訳ではなく、

10年近いサラリーマン人生を振り返ってみても、考えは変わっていません。

海外に渡航すると、日本の感覚が世界基準で捉えた時にかなりズレている事に気付くことも多いかと思いますが、

私は大学も外国語大学で、在校生の4割が外国人という環境に居ましたので、常に世界基準の感覚が身近にありました。

例えば、

日本では、官僚や公務員、大手企業会社員をエリートとする風潮がありますが、海外では経営者、自営業者、投資家の方がステータスが高いのがもはやスタンダードです。

それは、意思決定の過程において、

“自分の責任”でジャッジし、素早く行動に移す事が出来る=能力が高い、とみられているからです。

当然、組織に属していれば属しているほど、意思決定に遅れが生じ、レスポンスも遅くなります。

ただし、その分、何かトラブルが起きた際に自分ではなく”組織が責任を取って”くれます。

つまり、組織に居る以上、本当の意味で”責任を持つ”という経験をする事が殆どありません。

組織に守られながら、生きているのです。

例え、その企業の中では肩書きは社長、取締役という経営陣でも、創業者を除いてはただの”雇われ社長”に過ぎません。

人は、自分で責任を負わないと成長しません。

そういう意味で、出来る人間なら組織に依存することをせず、”自分の責任で仕事を創り出す”ことが出来る。

それが出来ないから、組織にぶら下がることしかできない、というのが世界基準、グローバルスタンダードなのです。

しかしながら、これが何故か日本だと”真逆”になっている場合が多いのです。

今でこそ、外資企業や、成果主義を採用する企業も増えてきましたが、まだまだ世界基準には程遠いのが現状です。

日本でベンチャー企業を立ち上げようものなら、特有の同調圧力、足の引っ張り合いが始まります。

出る杭は打たれる。

打たれたくないないら、彼らが打つことが出来ないくらい飛び抜けるしかありません。

みんながそうしてるから、そうしよう。

右に倣え主義、大衆迎合、ポピュリズム…。

民主主義、の弊害です。

責任を取る人がいない。

誰も責任を持たない。

何かあれば人のせい、組織のせいにする。

クレーマー、モンスターペアレントが良い例です。

また、あろう事か、中立姿勢であるはずの公共の電波を使ったマスメディアですら迎合主義のプロパガンダを煽ることがあります。

ニュース番組にスポンサー私企業が付いてる以上、ある程度扇動があるのは仕方がないにしても、です。

それが日本の実情なのです。

これも、多数決で同意が多い=正しい、という考え方が元になっているのでしょうが、

ここには大変な”矛盾”があります。

多数決で同意が多い=正しい、ということであれば、何故世界基準の考え方、価値観を取り入れないのでしょうか?

日本の人口は1億2千万前後、世界には約72億人の人口があります。

そう、日本人は”世界の70分の1”にしか満たないのです。

多数決で同意が多い=正しい、というならば、何故、日本のこの考え方、風習が間違っているという事にならないのでしょうか。

そうなんです。

日本の多数決の原理には、”この村社会の中で”という暗黙の了解があります。

本質的に未だ日本は”開国”にあらず、私はそう考えています。

物理的には幕末に開国しているかもしれません、

ですが、精神的には、風潮的には全く開国していないのが今の日本です。

物理的開国を経て、精神的開国が成り初めて日本は開国したと言えるのではないでしょうか。

これ以上グローバル化に乗り遅れて、日本経済の発展は望めないでしょう。

さて、

これらを踏まえて話を戻します。

お客様は神様、という言葉。

私は大嫌いだと言いました。

それは、会社員時代も、そして今、自営業者としても変わらないと。

そもそも、お客”様”という言葉を強調することに違和感があります。

お客様という言葉は、商品を提供した側、つまりお店、営業側が感謝の意を込めて使う言葉であって、

お客側が自分で「俺はお客様だぞ」という言葉、言葉にせずとも態度を出すのはお門違いです。

そもそも、商品を提供する側と商品を購入する側は対等です。

例えば、あなたが外食に行くとしましょう。

そこで、そのお店の”何か”が気に入らなかった。

料理の味が合わなかったのかもしれないし、店員の態度が気に入らなかったのかもしれない。

でも、それだったら何も言わず”二度と行かなければ良い”だけの話なんです。

それを自分を棚に上げて「お客様に向かって」と態度に表すのは間違っています。

だったら、です。

だったら、自分で料理を作れば良いじゃないですか。

それが面倒だから、外食で済ましているわけです。

自分がやりたくない事を相手やってもらう、その対価としてお金を払っているまでのこと。

逆の立場になって考えたら分かることではないでしょうか。

これは外食産業に限らず、消費者が介在する全ての商売シーンで当てはまる事です。

その原因はお客側の”必要以上の思い上がり”、それを産んだのが”お客様”という言葉を必要以上に多用する日本特有の風潮だと思っています。

日本くらいではないでしょうか、必要以上に店主がお客に対しペコペコするのは。

海外では皆、お店側はフランクな対応で、それに対しいちいち文句を言うお客も少ないです。

日本で、特にエンドユーザー、個人、消費者を相手にしている商売人の方は大変だと思います。

思い上がった、勘違いした相手が多いですから…。

普段職場で、家庭で、学校で、その他で虐げられているのか、ストレスが溜まっているのか分かりませんが心が狭くなっている方の多いこと。

そして、そのはけ口としてそういったお店の従業員や店主に対して思い上がった態度をぶつける。

私自身よく見てきました。

そしてそういう方は、顧客単価の低いビジネス、商品の提供の場に多い印象があります。

お金に余裕がない=心に余裕がない、そんな方は安くてお得なものを選ぼうとします。

心に余裕がないから、些細なことでも気に食わなくなる。

私自身、そういった方を相手にするのが面倒なので、基本的には事業主、法人に対するビジネスしかしないようにしていますが、交流会やイベントなどは一般の消費者の方もたまにみえます。

殆どの方が意識の高い、余裕のある方なのですが、中には心に余裕がない残念な方もごく稀にいます。

※詳しくは、先日のこちらのブログ参照。

私の事業は、小規模事業者を応援することで地域経済を盛り上げ地方創生に貢献することを目的としていますので、

私のクライアントである小規模事業者の方々、社長さん達がそのようなつまらない消費者に引っ掛からないようサポートしていくのも仕事の内だと考えています。

そして、そう発言している以上、私自身がその様な相手に屈服することは絶対にあり得ませんし、私のクライアントには同様に、毅然とした態度で臨んでいただけるようアドバイスをさせていただいております。

たまに、高飛車と言われることもありますが、それはそう発言した方がお客様は神様、という固定概念に囚われている為、こちらがお客に対し毅然とした態度で接しているだけで、そう映ってしまうのだと思います。

商品を提供する側と商品を購入する側は”平等”、そこに上も下もありません。

お互い嫌なら、断る権利がある上で取引をしている訳ですから。

私も以前、そういった”お客様”という態度の方に何度かお会いしましたが、全て、”こちらから取引をお断り”させていただきました。

お金を払うのも自由なら、お金を貰うのも自由。

私は魂を売ってまで、お金が欲しいとは思いません。

そして、軸たる私にその気持ちがなくては、クライアントである80社近くの小規模事業者さんを導くことは出来ないと強く考えています。

大事なのは、八方美人を演じて大多数に支持されるかどうかではありません。

自分の中で、軸となる考え方をブラさず持ち続けていられるかどうかです。

見ている人は見ています。

そこに人は付いていくのだと私は思います。

この文章を読んでいる小規模事業主の皆さん、もっと自信と誇りを持ってください。

冒頭で述べた通り、今、日本の経済は95%以上の被雇用者と、5%未満の雇用者で構成されています。

つまり、95%強の方の生活を、我々事業主5%弱で支えているんです!

大衆に感謝されることはあっても、必要以上に謙る必要はないのです。

自分でジャッジも出来ない、責任も持てないような大多数の人間など全く怖くありません。

毅然とした態度で、堂々と、強気で生きて行きましょう!!