尊厳死宣言公正証書。
若い方、特に今まで一度も葬儀に立ち会っていない方には聞き慣れない言葉かと思います。
医療関係者やエンディング産業〔葬儀業界の最近の呼称〕の方々は身近な言葉かもしれません。
なにより私自身、恥ずかしながら最近までこの言葉自体存じ上げませんでした。
実際に知人や親族の葬儀を経験し初めて”死”を身近に感じることが出来ると思います。
私はこれまで重病などで死に行く方に出会う度に、事業主の立場として悲しみや苦しみに暮れる当事者の方々について何かお手伝いが出来る事はないか?
そう思う事が度々ありました。
私の事業の目的、本懐は開業支援事業を通して岐阜経済を盛り上げる事ですが、
その”岐阜経済”の中には、当然ながら個人として様々な悩みを抱えている方も構成員として含まれています。
その悩みを抱える方の中には、重病にかかり寝たきりになった方、そしてその世話をする親族の方もいらっしゃるでしょう。
そこには様々な葛藤があります。
私自身、その当事者であった経験もあります。
だからこそ、この言葉を目にした時、素通りできませんでした。
“尊厳死宣言公正証書”
以下、日本公証人連合会ホームページ〔http://www.koshonin.gr.jp/business/b06〕引用。
「過剰な延命治療を打ち切って、自然の死を迎えることを望む人が多くなってきて、事実実験の一種として、「尊厳死宣言公正証書」が作成されるようになってきました。「尊厳死」とは、一般的に「回復の見込みのない末期状態の患者に対して、生命維持治療を差し控え又は中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいう。」と解されています。近代医学は、患者が生きている限り最後まで治療を施すという考え方に忠実に従い、生かすべく最後まで治療を施すことが行われてきました。しかし、延命治療に関する医療技術の進歩により、患者が植物状態になっても長年生きている実例などがきっかけとなって、単に延命を図る目的だけの治療が、果たして患者の利益になっているのか、むしろ患者を苦しめ、その尊厳を害しているのではないかという問題認識から、患者本人の意思(患者の自己決定権)を尊重するという考えが重視されるようになりました。「尊厳死」は、現代の延命治療技術がもたらした過剰な治療を差し控え又は中止し、単なる死期の引き延ばしを止めることであって許されると考えられるようになりました。
近時、我が国の医学界などでも、尊厳死の考え方を積極的に容認するようになり、また、過剰な末期治療を施されることによって近親者に物心両面から多大な負担を強いるのではないかという懸念から、自らの考えで尊厳死に関する公正証書作成を嘱託する人も出てくるようになってきました。
「尊厳死宣言公正証書」とは、嘱託人が自らの考えで尊厳死を望む、すなわち延命措置を差し控え、中止する旨等の宣言をし、公証人がこれを聴取する事実実験をしてその結果を公正証書にするものです。
ところで、尊厳死宣言がある場合に、自己決定権に基づく患者の指示が尊重されるべきものであることは当然としても、医療現場ではそれに必ず従わなければならないとまでは未だ考えられていないこと、治療義務がない過剰な延命治療に当たるか否かは医学的判断によらざるを得ない面があること、などからすると、尊厳死宣言公正証書を作成した場合にも、必ず尊厳死が実現するとは限りません。もっとも、尊厳死の普及を目的している日本尊厳死協会の機関誌「リビング・ウィル」のアンケート結果によれば、同協会が登録・保管している「尊厳死の宣言書」を医師に示したことによる医師の尊厳死許容率は、近年は9割を超えており、このことからすると、医療現場でも、大勢としては、尊厳死を容認していることが窺えます。いずれにしろ、尊厳死を迎える状況になる以前に、担当医師などに尊厳死宣言公正証書を示す必要がありますので、その意思を伝えるにふさわしい信頼できる肉親などに尊厳死宣言公正証書をあらかじめ託しておかれるのがよいと思われます。」
私たち信長塾にも、何か出来ることがあるような気がしてなりません。
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