ところで、俺は俺自身についてお金持ちにはなれないだろうと考えている。

理由は至ってシンプルで稼いだら稼いだ分つかってしまうからだ。

お金持ち、とはお金を”持っている”ことであって、お金を”稼ぐ能力がある”ことではない。

俺は後者としてはそこそこ自信はあるが、前者としては甚だ…というか興味すらない。

勿論、不動産や会社、お店など『資産』と呼べるものはある。

ただ、お金自体には興味が無い。

現物としてはただの”紙”や”鉄”。

グレシャムさんもびっくりの悪貨がはびこる世の中になった訳だ。

俺はそんな紙や鉄自体ではなく、それを交換する先のものにしか興味が沸かない。

つかわないお金を稼いで何の意味がある?

目的があり、それを達成する為の経済的手段がお金。

目的が無いお金を稼ぐのはただのコレクションだ。

数字を眺めるのが好きな人には向いている。

話を戻すが、俺の中では現金を貯めようという概念が殆どない。

よく会社のキャッシュフローに於いて、現金が無さ過ぎるのも問題だが貯め過ぎるのはもっと問題だと聞く。

目安は月の出費の3ヶ月分のキャッシュがプールされていれば良いとのこと、多くて6ヶ月分までで、それ以上は問題だとある会計士は言ってたっけ。

会社の目的は営利活動を通した経済貢献、つまりお金を遣わない会社は存在意義が無いということだ。

政治家もそうで、私財を貯め込むタイプの人間は国民に嫌われるしそもそも職に向かないだろう。

大久保利通や三木武吉など、一般的に賛否両論あったアクの強い政治家も蓋をあければお金は稼いだ分つかってしまって現物以外の資産などは殆ど残って無かったと聞く。

そういう意味でも俺は広義で起業家、狭義で社会起業家に向いているのだろう。

これは生まれ持った性質(タチ)だから悩んだところで変えようがない。

自分は自分にしかなれないのだから。

人は向上心を持つために無い物ねだりをするプログラムが脳みそに書き込まれてはいるが、結論人は他人にはなれない。

そう、生まれ持った自分という属性を活かせる場所を見付ける作業こそが人生だろう。

あとは行き着く先にいきつくだけサ。

”人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む”By ジャンポールサルトル