Oh yeaa……ah ah ah…….
Is ah big dancehall song in know…。

ケヴィン・リトルの有名な曲”ターミオン”が流れる中、俺は一人バーカウンターにもたれスミノフを飲んでいた。

当時三条木屋町にあった行きつけのクラブ、SAM &DAVE(サムアンドデイブ)。

 

ここ数週間、仕事終わりに頻繁に寄るようになっていた。

キーリングのオフィスから徒歩圏内に京都の繁華街の一つ、木屋町はある。

東に鴨川、西に高瀬川、その間に挟まれた小路(こうじ)。

それが木屋町通りだ。

その更に鴨川寄りには選ばれた大人だけが行くことが許される、洗練された街”先斗(ポント)町”がある。

今でこそ大学生や外国人観光客も出入りしているが、十数年以上前の京都では先斗町といえば日本人の資産家が集まる”ハイエンド”な街だった。

”いつか自分のお金で先斗町に飯を食いに行きたい”それが、当時の若者の働くモチベーションにもなっていた程だ。

そう思わせてくれる、憧れの街だった。

そんな先斗町とは縁遠い当時の俺は、22時まではエントランスフリーとなる件のクラブに入り浸っていた。

元々音楽が好きで、18歳からストリートダンスをしていた俺は純粋に音楽とお酒を楽しみにクラブに通っていた。

とは言え、繁華街の中にあって当時人気も高かったこのクラブ。

遅がけになるにつれ、ヘベレケになったOLや女子大生が次々に入ってくる。

当然、餓えた男どもにはお誂え向きの狩場となっていた。

もちろん、俺もその一人だった。笑

クラブに行った事がある人なら分かって頂けると思うが、フロアは男性より女性の方が多い。

つまり、必然的に女性の取り合いになるのだ。

誰が、この中(フロアの中)で一番良い女を狩れるか。

 

言葉にこそ表さないが、フロアに居る若く餓えた男どもは皆血眼になっていた。

時には若気の至りで、女の取り合いの末に喧嘩となりセキュリティに摘み出されながら…。

格上の女に声をかけて痛い目に遭いながら…。

そうやって、俺を含めた当時の男どもは社交場の遊び方を身体で覚えていったのだ。

因みにヨースケと一緒にクラブに行く時は、決まって彼は一人クラブの外で待機していた。

閉店間際に”タダ”で店内に入って、イキる男を退かして”一番良い女”を自分が掻っ攫う。

 

それが彼の美学だったからだ。

公私両立の青春真っ只中。

訪問販売のスキルを磨き手に職を付ける一方で、俺たちは京都の繁華街で夜の遊びをどんどん覚えていった。

続く。