なんでこんなヤツをクビにしないんですか!?
こんな出だしで申し訳無い(苦笑)。
私が光○信に入社する前、人生で初めて会社員になったのは、京都の某営業会社だった。
上場もしていない、京都本社の中小企業。
ただ、保守的な京都にあって異彩を放つ会社でもあった。
社長は地元では知らない人が居ないほどカリスマ性があり、専務、部長、室長、主任に至るまで、皆海千山千の猛者ばかり。
まさに少数精鋭の営業部隊。
そんな所に魅力を感じ、扱っていた商材が第二のITバブルと呼ばれていた当時、
成長産業真っ只中のサービスだった事から入社を決めた。
その会社は通信キャリアの二次代理店をしており、上には一次代理店があった。
そこまでは通常の代理店と変わらないのだが、他所と少しだけ違うのが、私が入社した会社の社長、専務、が元々別のビジネスで一次代理店の社長、専務の上司に当たる人間だったという点だ。
その為、代理店としての条件、待遇はもちろん、何かあった時の対応もかなり融通が効いていた。
そして、まさに冒頭のセリフはその一次店の社長から名指しで私が言われた言葉なのである。
今思えばひどい社員だったと思う。
空気は読まないし、上司の指図は受けない。
先輩も平気で顎で使おうとする様な超が付くほど生意気な、当時20歳前後の私だった。
ただ、当時の社長、専務、部長、室長、主任からはとても可愛がってもらっていた。
理由は単純で、数字を一番やっていたからだ。
勤務時間もダントツで一番長かったと思う。
京都市内一円を自転車一台で南は伏見区から北は岩倉村まで横断して飛び込み営業をしていた。
365日の内、まともに休んだのは60日も無いだろう。
その根性を買ってもらい、会社の上層部にはとても良くしていただいていた。
今でもその恩は忘れていないし、今だに連絡を取り合う人も居る。
冒頭のセリフを吐かれた時ですら、隣にいた専務が私を庇ってくれていた。
元はと言えば、私の度重なるクレームが原因でその様なシチュエーションになった訳だが、それでも私の可能性を信じてくれた大人によって私の首は皮一枚で繋がったのだ。
海千山千の一次店社長、専務が雁首揃えて会社に怒鳴り込んできた時は流石に生きた心地がしなかったが(苦笑)。
とにかく、まあ、それにしても当時の私の営業スタイルは過激すぎた。
普通なら取れない(取らない)お客さんも相手にし、兎に角難しいシチュエーションほど燃えた。
居留守を決め込んでる見込み客を引っ張り出す為、毎日10回以上1週間連続で訪問した事もある。
契約を取るか、警○呼ばれるまで帰ってくるな。
というのが当時の私が私自身に課していた言葉だった。
もちろん、実際に呼ばれた事も一度や二度では無かった。
居留守を開けたら包丁を出された事もあったな(笑)。
その会社に就職していなかったら、今のキャリアも無いだろうと思うくらい精神を鍛えられたよ。
感謝しかない。
その会社に2年弱勤めた後、私は次のキャリアアップを目指し、
全国区の営業として名乗りを上げる為に光○信に転職をした。
その後の話についてはこちらの起業コラムにて連載しているのでお時間がある方は読んでいただければと思う。
兎に角、お陰様でとても刺激的な人生を歩む事が出来た訳だが、